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Team 片手業・昭和の子どもの物語 小説、エッセイなど

小説 彼方のゆめちゃん  -7- 「おねえちゃんのお客さん」

第7話 「おねえちゃんのお客さん」

 

 日曜日の事でした。おねえちゃんにお客さんがありました。おねえちゃんはこの春から高校へ通うようになり、新しい友達ができたのです。おかあさんはお茶をいれたり、お菓子をだしたり忙しそうです。ゆめちゃんは気になって仕方ありません。したくもないのに、トイレに何度も行きました。応接間にお客さんがいました。でも、ゆめちゃんが通る方を向いているのはおねえちゃんでした。お客さんは背中しか見えません。ゆめちゃんがトイレから帰ってくると、おかあさんが「だめですよ」と、ゆめちゃんをたしなめました。ゆめちゃんはしょうがなく、お客さんにだされたと同じお菓子を手にしました。海苔の巻いてある、かたいせんべいでした。

 

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 お客さんにお昼を出すと、おかあさんはゆめちゃんに「焼きめし」を作ってくれました。ゆめちゃんは焼きめしが大好きです。刻んだニラをさっと炒め、ご飯を入れて炒めあわせます。おかあさんがフライパンをサッサッと上下させると、ご飯は、大きな波が打ち寄せて引いて行くようにフライパンにおさまります。それが二、三度繰り返されると出来上がりです。ゆめちゃんは少しだけ醤油をかけて食べます。ゆめちゃんが焼きめしを食べていると、おねえちゃんが食器を運んで来ました。「きれいに食べたのね」と、おかあさんが言うと、おねえちゃんが「信子さん、とてもおいしいって」と言い、ゆめちゃんには「ご飯食べたら、向こうにおいで」と、言いました。ゆめちゃんの胸がドキドキし始めました。

 信子さんはとても奇麗な人でした。細面で切れ長の目が頭の良さを語っているようでした。ゆめちゃんが、応接間に入ると「こんにちは」と言い、「ほんとだ」と言いました。ゆめちゃんは「ほんとだ」という言葉を不審に思ったけれど、胸がドキドキして、「こんにちは」と応えるのがやっとでした。ゆめちゃんは、信子さんがずっと見ているので、顔をあげることができませんでした。助け舟を出すようにおねえちゃんが、「ゆめちゃんに頼みたい事があるんだけど」と言い、ちょっと首をかしげながら、いたずらっぽく笑いました。ゆめちゃんが応える間もなく、それが始まったのです。

 おねえちゃんは箪笥から何枚かの着物を出してきました。そして、白地に朝顔の絵がかいてあるのを手にして、「これだ、これだ」と言い、信子さんに差し出しました。それは、学校で出された宿題で、盆踊りのための浴衣でした。「上手にできてるわね」と、信子さんは感心して見入っています。「えりぐりが上手にできなくて」苦労したと、おねえちゃんは誇らしげに言いました。「じゃ、やっちゃおうか」と、おねえちゃんは信子さんにいたずらっぽく笑いました。信子さんも笑いました。ゆめちゃんが緊張していると、おねえちゃんが「着てくれる?」と、ゆめちゃんの顔を覗き込みました。

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 ゆめちゃんの全身に朝顔の花が咲きました。ちょっと裾をあげ、しめた帯は真っ赤なしぼりです。顔は、軽くはたいたおしろいに淡い頬紅が桜の花のようで、口には口紅までさしてありました。さんざん渋ったゆめちゃんでしたが、信子さんに「お願い」と言われ、ふたりにされるがままになってしまいました。「ほんとに、かわいい」と信子さんが言うと、おねえちゃんが「でしょう」と言いました。ゆめちゃんは、信子さんがゆめちゃんを最初に見た時に「ほんとだ」と言ったことの意味が、やっと判りました。

 恥ずかしいのもひとときの事でした。ゆめちゃんは信子さんが喜んでくれることが嬉しくて、くるりと回って見せたり、お嬢様歩きをして見せたりで、信子さんに十分にサービスしたのでした。時間が経ち、ゆめちゃんはおしっこがしたくなりました。信子さんがおねえちゃんの話に気をとられている時を見はからい、玄関をとび出し、前の溝におしっこを始めました。足音が聞こえてきました。でも、出始めたものは、もう止まりません。止める事ができません。出たがるものを、思いきり出す事にしました。おしっこは弧を描いて、溝に注がれました。

 「おやっ」と立ち止まったのは、この地域で一番年嵩(としかさ)のおばあちゃんでした。ゆめちゃんは肩が上下するほど、驚きました。おばあちゃんは「確か、ゆめちゃんじゃったのう」と言いながら首をかしげました。腰がほぼ九十度に曲がっていて、杖をついているけれど、大きな、そして元気な声でした。ゆめちゃんは、しまうものをしまい終えると、家の中に駆け込みました。そして、驚くおねえちゃんを急かせて、浴衣を脱がせてもらいました。

 着替えを済ませたゆめちゃんが、居間で恥ずかしさに耐えかねるようにゴロゴロしていると、玄関で「ゆーめちゃーん」と呼ぶ声がしました。おねえちゃんが出てくれました。そして、すぐに、信子さんとおねえちゃんの笑い声があがりました。少しして、おねえちゃんがゆめちゃんを呼びに来ました。「みっちゃん、来てるよ」と言うと、笑いをこらえながら応接間に戻って行きました。ゆめちゃんは渋々立って行きました。すると、玄関に異様なものを見たのです。みっちゃんでした。寝起きの寝間着のように、前がはだけかけた着物の裾を菊ちゃんが手にしていました。それはまるで、浴衣を着せた猿のように見えたのです。おねえちゃんと信子さんが再び大笑いすると、みっちゃんと菊ちゃんは満足げに帰って行きました。

 「それは、見たかったなあ」と、おとうさんはお酒を口に運びながら、笑顔で言いました。おねえちゃんから話を聞いたおとうさんはとても残念そうでした。ゆめちゃんは「おんなの格好」したことを、とても後悔していました。「かわいかったのよ」と、おかあさんが言うと、「ほんと、ほんと」とおねえちゃんが言いました。おとうさんは増々、気になり始めたようです。おかあさんは、これ以上からかうとゆめちゃんが怒りだしそうに思いました。そして、「そうそう、みっちゃんも」と話題を変えました。おねえちゃんは、「みっちゃん」と聞いただけで腹を抱えるように笑いだしました。おとうさんは要領を得ないまま「信子さん、大満足だったろうね」と言いました。その時、おかあさんの顔が少し曇りました。

 みんなが「ん」という顔をしました。すると、おかあさんは「久子さん、カンカンですって」と言いました。久子さんはみっちゃんのお姉さんです。みっちゃんは、盆踊りに着て行くつもりで大事にしまってあった、久子さんの浴衣をくしゃくしゃにしてしまったそうです。「久子さん、洗い張りして仕立て直しだそうよ」と、おかあさんは、みっちゃんのいたずらと久子さんの苦労を思いやっていました。そして、思い出したように「そう、そう、ゆめちゃん」と、おかあさんは真顔になりました。ゆめちゃんは少し緊張しました。

 おかあさんの顔は増々硬くなり、「おしっこしたでしょう」と、ゆめちゃんを睨みました。ゆめちゃんは下を向いて声もなくうなずきました。と、おかあさんの声が一変しました。「ゆめちゃん、往還のおばあちゃんにあったでしょう」と、おかあさんは言いました。「うん」。今度は声がありました。「あのおばあちゃんね、ゆめちゃんのこと、ずっとおんなの子だと思っていたんですって」と言い、「今日、初めて知ったそうよ」と言って、微笑みました。ゆめちゃんはそれを「見られたこと」が恥ずかしくて、消え入りそうになりました。おとうさんが「それは良かった」と言うと、みんながどっと笑いました。