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小説 彼方のゆめちゃん  -10- 「きんつり」

 

第10話 「きんつり」

 

 夏休みになりました。ゆめちゃんにとっての夏休みは、みっちゃんや菊ちゃんが大はしゃぎする程、嬉しくはありません。それは、ゆめちゃんのいつも緊張する性質と関わりがありそうです。ゆめちゃんにとって夏休みは、文字どおり「夏の休み」なのかも知れません。でも、周りはゆめちゃんを休ませてはくれませんでした。朝、六時過ぎ、ゆめちゃんが布団の上でゴロゴロしていると、まじめなふみちゃんとひろこちゃん姉妹が通るのが、朝もやの中に見えました。「ゆーめちゃーん」と、おかあさんの声がします。六時半からのラヂオ体操には、まだ時間があります。ゆっくりしていたいゆめちゃんでした。

 

 ラヂオ体操が終わり、カードにはんこを押してもらっていると、「ねえ、ねえ」と、後ろから声がしました。みっちゃんと菊ちゃんがいました。「来る?」とみっちゃんが聞きました。「チーム作るんだよ」と菊ちゃんが言いました。ふたりの話はとりとめがありません。隆ちゃんが「野球のチームつくるんだ」と説明してくれました。朝ごはんの後、組内の男の子が全員、みっちゃんちに集まりました。みっちゃんのおにいさんが監督です。みんなに野球帽につける手作りのワッペンを配りました。「Y」でした。なぜ、「Y」なのか、説明はありませんでした。ゆめちゃんはワッペンを見て変だなあと思いました。「Y」の上のVの所です。左が細く、右が太くなっていました。本当は、左が太くて、右が細いのです。みっちゃんのおにいさんは苦笑いしながら「逆転、逆転」と言いました。みんな、強いチームができることを確信しました。

 

 野球の練習の帰り道、菊ちゃんが「海、行くんだ」と、嬉しそうでした。菊ちゃんは、ゆめちゃんを羨ましがらせようと思って言った事ですが、ゆめちゃんは羨ましくなかったのです。それより、早く帰って昼寝しようと思いました。家に帰ったゆめちゃんは、家の中のひんやりした場所を見つけて横になっていました。玄関で「おばさーん」と言う声がしました。菊ちゃんちの、新しいお姉さんです。おかあさんが玄関に向かいました。少しして「一緒に行きません?」と、お姉さんが言い、「そうねえ」とおかあさんが答えたのまで聞こえましたが、あとは意識が薄れていきました。

 

 夕食の後、おとうさんが帰って来ました。おかあさんは、おとうさんの夕食を用意しながら「海、どうでしょう」と言いました。おとうさんは晩酌をしながら「行くか」と言いました。ゆめちゃんはゆううつになりました。ゆめちゃんには気が重いことがひとつあったのです。それは「きんつり」でした。男の子供達は、プールや海水浴の時、「きんつり」を着けます。昔はふんどしだったようですが、ゆめちゃんは知りません。ゆめちゃんが水遊びするようになった時は、みんな「きんつり」でした。昔のふんどしが便利になって、越中ふんどしになったようなものでした。三角の小さな布キレでおちんちんを隠しただけで、お尻のほっぺが丸出しでした。ゆめちゃんはワッペンの「Y」字を思い出しました。

 

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 ゆめちゃん達が海水浴に行くには、朝、四時過ぎに家を出ます。おかあさんは寝ないでお弁当を作りました。夜明けにはまだ間があります。菊ちゃんちの外灯の下に、みっちゃんちの家族と菊ちゃんちの家族と、ゆめちゃんちの家族が集まりました。ゆめちゃんのおにいさんとおねえさんは行きません。でも、十人以上の大勢です。子供達が興奮するのは無理もない事です。みっちゃんが「ワーッ」と、駅に向かって駆け出すと、菊ちゃんとゆめちゃんも駆け出しました。歩いて十五分の所に駅があります。そこから汽車に乗り、バスに乗り継いで三、四時間で海水浴場です。ゆめちゃんは旅行気分で、「そのこと」をすっかり忘れていました。

 海水浴場の近くでバスを降りると、歩いてすぐです。みっちゃんと菊ちゃんは海に向かって走り出しました。ゆめちゃんは大人の人と一緒です。海に近付くに連れて、海の家から呼び込みの人が目立つようになりました。「どうですか」と言いながら、腕をとらんばかりに誘います。右から、左から呼び込みの人がやって来ました。おとうさんたちは、物色しながら笑顔であしらっていました。ゆめちゃんは、その間、ずっと目にしているものがありました。どこの海の家にも、浮き輪や水中眼鏡など、水遊びの品々が軒先に吊るされていました。その中に、きんつりと並んで海水パンツがありました。ゆめちゃんの胸がドキドキし始めました。

 

 海の家は着替えて荷物を預けたり、シャワーを使わせてもらったりしますが、泊まる事もできます。ゆめちゃんたちは二泊三日の予定でした。海の家を決めるのに時間がかかりました。その間、ゆめちゃんの目は軒先に吊るされた「海水パンツ」に向いていました。その時、菊ちゃんのおねえさんが「どうしたの?」と声をかけました。ゆめちゃんはおとうさんの陰に隠れました。海の家が決まると、一息する間もなく、みっちゃんが「行こう」と言いました。ゆめちゃんは、気がすすみません。「せっかく来たのだから」と、おかあさんが言いました。すると、みっちゃんは「そうだ、そうだ」と言いながら着替えました。みっちゃんは海水パンツをはいていました。紺色のトランクスに白いベルトがついていました。みっちゃんが都会の子のように見えました。

 

 ゆううつな一日が過ぎました。夕食が終わると、板敷きの上のござの上にぺったんこの布団が敷かれ、蚊帳が吊られました。ゆめちゃんは緊張から解放されて、ぐっすり眠りました。そして、朝、みっちゃんのおねえさんの声で目覚めました。漁師さんが魚をとって来た、とみんなに知らせました。子供達は眠い目をこすりながら、波打ち際に走って行きました。舟の中には魚がいっぱいでした。タコがいました。おじさんが「持って行きな」と言って、くれました。タコは朝ご飯の時、ゆでたものが出ました。人数分ないので、ゆめちゃんは手を出しませんでした。みっちゃんや菊ちゃんはすぐにかじりつきました。「かてー」とみっちゃんが、タコと格闘していました。そして、「ゆめちゃん、あげる」と、食いちぎれないタコを回しました。ゆめちゃんは、上手に食べる事ができました。やはり、みっちゃんは不器用です。 

 

 ゆめちゃんにゆううつな時間が迫っていました。縁側の軒先には、昨日はいたきんつりが下がっていました。誰かが「海、行こうか」と言いました。ゆめちゃんがグズグズしていると、菊ちゃんが「行こう、行こう」と言いました。その時でした。おかあさんが「これっ」と言って、差し出したものがありました。海水パンツでした。ゆめちゃんのゆううつがいっぺんに晴れました。でも、恥ずかしくて、グズグズしていました。おかあさんが「欲しかったんでしょう」と、海水パンツを押し付けました。ようやく、ゆめちゃんの顔に笑顔が戻りました。ゆめちゃんは、早速、着替えをすませました。頭には水中眼鏡が光っています。紺色の海水パンツには白いベルトもついていました。おかあさんが「ちょっと大きかったかな」と言い、すぐに「ゆめちゃんが大きくなれば」似合うようになる、と微笑みました。

 

 三日目、ゆめちゃんは朝早くから起き出して、帰る間際まで海に入って遊びました。夕方、バスに乗って帰ります。バスに乗ると、ゆめちゃんはすぐにうとうとし始めました。後ろの座席にはおかあさんと、菊ちゃんちのお姉さんが座っていました。バスのエンジン音に紛れて、ふたりの会話が聞こえてきました。「ずっと、欲しかったんだね、あの子」と、おかあさんが言いました。「着いた時からずっと」と、お姉さんが言いました。「来年、買ってあげようと思ってたのに」と、おかあさんが言い、「助かったわ」と言うと、「いーええ」と、お姉さんが応えました。どうやら、ゆめちゃんが海水パンツを欲しがっているのを教えてくれたのは、菊ちゃんちのお姉さんだったようです。

 

 

—Akitsu & illustration  by  Yasuko Sudo

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