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Team 片手業・昭和の子どもの物語 小説、エッセイなど

小説 彼方のゆめちゃん  -8- 「道草」

 

第8話 「道草」

 

 学校での事です。この日は担任の阿倍先生が出張で、午前中の授業が自習になりました。みんな大人しく自習していたのは、一時間めのなかばくらいまでで、すこしずつ、騒がしくなり始めました。あまり声が大きいと隣の組の先生が注意にきます。それに次第に慣れてくると、奇妙なざわつきに変わりました。後ろの席で男の子が二、三人集まっています。気になる笑いが、時折、起こりました。ゆめちゃんは与えられた問題に必死に集中しようと努力していました。でも、周りが許してくれません。後ろの河野くんが背中を叩いたので振り返ると、黄色い下敷きをひらひらさせました。見せてもらうと、そこにはゼロ戦の戦闘画が楽しく描いてありました。ゆめちゃんは、絵が楽しく描ける河野くんが羨ましくなりました。

 ゆめちゃんは河野くんのような絵が描きたくて、下敷きを取り出しました。でも、ゆめちゃんの下敷きは青でした。上手に描けないような気がしました。今度のお小遣いで黄色の下敷きを買おうと思いました。鉛筆も、いつもゆめちゃんが使っているHBではなくて、濃いのがいいと思いました。ゆめちゃんは河野くんから濃い鉛筆をかりました。そして、下敷きにゼロ戦を描いてみると、青い下敷きでも上手に描けるのです。いつの間にか問題を忘れて、絵を描く事に夢中になっていました。その時、「ゆめちゃん」と読んだのは行徳くんでした。行徳くんは紙を見せて、「だれがいい」と言いました。ゆめちゃんは「ん」と、行徳くんを見上げました。すると、行徳くんは小さな声で「だれが一番かわいいと思う?」と聞きました。

 行徳くんの差し出した紙には、同じクラスのおんなの子の名前が五、六人書いてありました。名前の横には「正の字」が並んでいます。どうやら、行徳くんは何人ものおとこの子から、それを聞き出しているようです。ゆめちゃんは「だれが一番かわいい」と聞かれた時には、もう、一人のおんなの子の顔が浮かんでいました。そして、行徳くんの紙の上にその名前がありました。でも、その子の名前を言えば、一番好きな子を白状したことになります。ゆめちゃんは、みんなからはやしたてられるのが厄介で、恥ずかしいと思いました。どうやって、この状況を切り抜けようかと考えていると、教室の後ろで歓声があがりました。どうやら誰かが、誰かを好きなんだとはやしたてているようです。こういう話になるとおんなの子も加わって、教室は一気に蜂の巣をつついた状態になりました。そして、間もなく、後ろの戸がガラリと開くと「しずかにーいっ」と、隣の組の先生の叱る声がありました。

 

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 放課後、行徳くんがゆめちゃんの所へやって来ました。ゆめちゃんは例の事を迫られると思って、知らぬ振りするつもりで身構えていました。ところが、行徳くんは「一番は末永さんに決まりだよ」と言いました。ゆめちゃんの頬に朱がさしました。行徳くんはゆめちゃんの表情の変化に構わず、「末永さんち、一緒に行こう」と言いました。どうやら、最初から計画されていたことのようです。ゆめちゃんには気になる事がありました。この日は紙芝居が来る日なのです。物語の主人公のおんなの子の行く末が気掛かりです。少し迷いましたが、紙芝居の事はみっちゃんたちに聞く事にして、末永さんちに行く事にしました。

 行徳くんは小田くんや西野くん、原田さんたちを語らって末永さんちに向かいました。ゆめちゃんが後ろについて歩いていると、「ゆめちゃーん」と、声がかかりました。みっちゃんと菊ちゃんが校門の所に立っていました。一緒に帰ろうと待ってくれていたのです。ゆめちゃんがクラスのみんなと帰ると言うと、菊ちゃんが「紙芝居、来るよ」と言いました。みっちゃんは大きくうなずいています。ゆめちゃんは迷いを打ち消すように、紙芝居は見ないと言いました。それは、みっちゃんと菊ちゃんには「きつく」聞こえたかも知れません。みっちゃんが「道草したらいけないんだよ」と不服そうに言いました。菊ちゃんは「いーけないんだ、いけないんだ」と言いながら、坂道をかけ下って行きました。

 末永さんちはゆめちゃんちとは反対の方向にあります。「まだ?」と、ゆめちゃんが聞くと、行徳くんが「まだ、半分くらい」と応えました。楽しさに紛れて、ゆめちゃんはどこをどうやって進んでいるのか分からなくなってしまっていました。ちょっと、胸がドキドキしました。そんな時、末永さんが「ごめんね」と謝りました。末永さんは、家が遠い所にあるのを謝っているのです。ゆめちゃんは「うううん、大丈夫」と言い、つとめて明るく振舞いました。そうこうするうちに、末永さんちに着きました。みんなは、「ただいまー」と言って入って行く末永さんについて、お家に入って行きました。ゆめちゃんは玄関先で立ち止まりました。末永さんちは、どこかで、見たような光景でした。

 

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 ゆめちゃんが玄関で、中に入るのを躊躇していると、末永さんの「ゆーめちゃーん」と呼ぶ声がしました。初めての家に足を踏み入れるのは勇気がいります。ゆめちゃんは、息を吐き出す気分で敷居をまたぎました。すると、ふわーっと、いい香りがしました。みっちゃんや菊ちゃんちにはない香りでした。ドキドキし、頭の中が白くなっていくのが分かりました。なぜか、美佐子さんの顔が浮かびました。ゆめちゃんは何がなんだかわからないうちに、出されたお菓子を食べ、ジュースを飲んでいました。トランプ遊びにも疲れた頃、末永さんのおかあさんが「もうそろそろ四時よ」と、言いました。遠くから来ている子がいることを知っているようでした。みんなが帰り支度をして外に出ると、ゆめちゃんは来た時に感じた事が判りました。それは、末永さんちが紙芝居の絵に似ている事でした。太陽が傾き始めていました。

 いつの間にかゆめちゃんはひとりになっていました。行徳くんたちの家は末永さんちの近くでした。小田くんが帰り道を「あっち行って、こう行って」と教えてくれたのだけど、ゆめちゃんは途中から分からなくなってしまいました。でも、一生懸命に教えてくれる小田くんに「分からない」とは言えませんでした。霞がかった記憶と勘だけで、ここまで来たのです。分かれ道でした。周りを見渡しても見当がつきません。困っていると、遠くで「きーん」と音がしました。断続的に聞こえるその音に、ゆめちゃんは人の気配を感じました。そして、そちらの方向へ向かって歩き出したのです。

 そこには材木が沢山積んでありました。道から右手に曲がった所に山がありました。おがくずです。おがくずのいい匂いで、ゆめちゃんはある事を思い出しました。この春、友達になったばかりの原田さんが「カブトムシ」の話をしてくれたのです。製材所のおがくずの中に幼虫がいて、それを取ってきて育てている、と言うのです。ゆめちゃんは、自分もカブトムシを育ててみたいと思っていました。でも、原田さんは「ひみつ」と言って笑い、製材所の場所を教えてくれませんでした。ゆめちゃんは、ここが原田さんの言っていた製材所だと思いました。そう思うと、ゆめちゃんは時間のことも忘れて、おがくずの山に駆け寄りました。

 ゆめちゃんはカブトムシを見つけることはできなかったけれど、大満足でした。しかし、随分遅くなってしまいました。まだ、陽が落ちたわけではないのに、密集した木の陰に入ると、夜のように暗くなっていました。村と村を隔てる山道でした。人影は見当たりません。ゆめちゃんは、ただ勘だけで道を選んでいます。暗い道が上へ延びていました。木陰の出口が見えません。何度も振り返り、引き返そうと思いました。でも、それもためらわれました。その都度、勘を信じようと努力しました。心細くなったゆめちゃんが頼るものはそれしかなかったからです。去年までのゆめちゃんだったら、泣き出していた事でしょう。込み上げてくる熱いものを押しころしながら歩いていました。すると、かすかな光が見えました。それは、ゆめちゃんの希望の光でもありました。ゆめちゃんは、光に向かって走りだしていました。そして、そこに立つと、朱色に輝く山の端が見渡せました。

 それはいつか見た山の端でした。ゆめちゃんに希望が湧いてきました。おとうさんの自転車に乗せられて、親戚の家に行く時に見た山の形をしていたのです。よーく見ると、間違いありません。だとすると、山の方へ歩いて行くと、おとうさんと通った道があるはずです。ゆめちゃんに勇気が湧いてきて、足取りも軽くなったようです。いつの間にか、駈けるように歩いていました。それでも、ずいぶん歩きました。見覚えのある道に出て、見た事のある家を見つけ、時々行った酒屋さんの前まで来ると、ゆめちゃんの家はもうすぐそこでした。左手に隆ちゃんの家がありました。そして、道の向こうの方に懐かしい姿を見た時、ゆめちゃんは鼻がツーンとしびれ、瞼に涙が溜まりました。

 ふたつの影が駈けよって来ました。みっちゃんと菊ちゃんでした。「おそかったね」と菊ちゃんが言いました。「紙芝居、帰ったよ」とみっちゃんが言いました。いっきに緊張がとけて、ゆめちゃんはふたりの言葉が聞こえません。菊ちゃんが、長々としゃべっていました。どうやら、紙芝居の話のようです。みっちゃんが「ガリッ」と音を出しました。ゆめちゃんは、不自然なその音で、ようやくいつものゆめちゃんになりました。「みっちゃん、それ、噛んじゃだめだよ」と言いました。それは、紙芝居でくれる鼈甲(べっこう)あめでした。ガムほどの厚さで、切符の半分くらいの大きさです。それに文字が刻んであり、舌さきでなめながら切り抜きます。奇麗に切り抜くと景品がもらえるのです。みっちゃんはこらえ性がなく、不器用です。みっちゃんは「あ、はは」と笑いました。

 

 

—Akitsu & illustration  by  Yasuko Sudo

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